バトエン界の伝説 アスリー
無名時代にはフリー対戦で約1万試合以上に出場、6000勝以上をあげ、うち3本残し勝利は3500試合以上、ノーダメ試合55試合など、にわかには信じがたい成績が伝えられている。 晩年、93歳の頃に1回だけ公式大会に出場し、前半戦6位、後半戦3位という成績を収めている。
アーバンシーは中学生の時にアスリーの追悼番組を見て衝撃を受けた事が、バトエン界を意識したキッカケになったと発言している。
オーガの殺し屋 アーバンシー
アーバンシーはめきめきとバトエンの腕を上げ、その強さは10代半ばにして地元では敵なしという程であったと伝わる。
間もなくしてアーバンシーは「バトエンで生計を立てたい」という一心からアスフェルド学園を中退し、プロバトエンプレイヤーになるためにバトエンの腕を磨く日々を送った。その後、夜遊びを覚え魔窟アラモンドのアラモン糖中毒になるなどしだいに素行が悪化、オーグリード大陸のキーエンブレムを両方とも没収され、プロ入りを諦めることとなった。しかし、バトエンの熱は冷めておらず、フリーマッチへ連日出入りするようになっていく。ウェナ諸島ジュレットの町に籍を置いたアーバンシーはフリーマッチで連戦連勝、間もなくして「オーガの殺し屋」の異名を持つ凄腕の真剣師として恐れられるようになる。
世紀の勝負
そして同時期に日本最強の真剣師と評されていたぬぬん氏と日本一の真剣師を決するべく、当時にあったバトエンビーチで対局。ここでもアーバンシーはぬぬんに一歩も譲らぬ戦いを演じ、2時間がかりの勝負で計7勝7敗と互角に渡り合い、ぬぬんに「もう一度やったら勝てる自信がない」と言わしめた。
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